行列のトレースとは|性質と固有値の和になる理由
正方行列 の対角成分をすべて足した値を、 のトレース(跡)といいます。
定義は足し算だけですが、この量は行列の見かけによらない情報を持っています。相似変換で変わらず、固有値の和に等しくなります。
<svg viewBox="0 0 460 200" width="100%" style="max-width:460px;display:block;margin:0 auto">
<text x="48" y="26" font-size="11" fill="#1f1f1f">左上から右下へ並ぶ成分だけを足す</text>
<rect x="130" y="50" width="210" height="105" fill="none" stroke="#c8c8c8" stroke-width="1"></rect>
<rect x="130" y="50" width="70" height="35" fill="#1b81e0" fill-opacity="0.15"></rect>
<rect x="200" y="85" width="70" height="35" fill="#1b81e0" fill-opacity="0.15"></rect>
<rect x="270" y="120" width="70" height="35" fill="#1b81e0" fill-opacity="0.15"></rect>
<line x1="200" y1="50" x2="200" y2="155" stroke="#e8e8e8" stroke-width="1"></line>
<line x1="270" y1="50" x2="270" y2="155" stroke="#e8e8e8" stroke-width="1"></line>
<line x1="130" y1="85" x2="340" y2="85" stroke="#e8e8e8" stroke-width="1"></line>
<line x1="130" y1="120" x2="340" y2="120" stroke="#e8e8e8" stroke-width="1"></line>
<text x="165" y="73" font-size="12" fill="#1b81e0" text-anchor="middle">a11</text>
<text x="235" y="73" font-size="12" fill="#9a9a9a" text-anchor="middle">a12</text>
<text x="305" y="73" font-size="12" fill="#9a9a9a" text-anchor="middle">a13</text>
<text x="165" y="108" font-size="12" fill="#9a9a9a" text-anchor="middle">a21</text>
<text x="235" y="108" font-size="12" fill="#1b81e0" text-anchor="middle">a22</text>
<text x="305" y="108" font-size="12" fill="#9a9a9a" text-anchor="middle">a23</text>
<text x="165" y="143" font-size="12" fill="#9a9a9a" text-anchor="middle">a31</text>
<text x="235" y="143" font-size="12" fill="#9a9a9a" text-anchor="middle">a32</text>
<text x="305" y="143" font-size="12" fill="#1b81e0" text-anchor="middle">a33</text>
<text x="352" y="108" font-size="11" fill="#1b81e0">この 3 つの和</text>
<text x="48" y="178" font-size="11" fill="#9a9a9a">正方行列でなければ対角成分がそろわないので、トレースは定義しません</text>
</svg>線形性
トレースは和とスカラー倍を保ちます。対角成分ごとに足し算をしているだけなので、証明は定義の書き換えで終わります。
行列を成分の並びと見ると、トレースは 個の成分のうち対角の 個だけを拾って足す線形写像です。
転置しても変わらない
転置は 行 列と 行 列を入れ替える操作なので、対角成分は動きません。
行列式が を満たすのと同じく、行と列のどちらから見ても同じ値になります。
積の順序を入れ替えても変わらない
トレースの性質でいちばん使うのが次の等式です。積そのものは順序で変わるのに、トレースは変わりません。
証明は二重和に開くだけです。まず左辺を書きます。 の 成分は です。
次に右辺を書きます。 の 成分は です。
どちらも を全部の について足したものです。足す順序が違うだけなので、値は一致します。
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<text x="48" y="26" font-size="11" fill="#1f1f1f">同じ格子を、行ごとに足すか列ごとに足すかの違いだけです</text>
<rect x="90" y="60" width="270" height="102" fill="none" stroke="#c8c8c8" stroke-width="1"></rect>
<line x1="180" y1="60" x2="180" y2="162" stroke="#e8e8e8" stroke-width="1"></line>
<line x1="270" y1="60" x2="270" y2="162" stroke="#e8e8e8" stroke-width="1"></line>
<line x1="90" y1="94" x2="360" y2="94" stroke="#e8e8e8" stroke-width="1"></line>
<line x1="90" y1="128" x2="360" y2="128" stroke="#e8e8e8" stroke-width="1"></line>
<text x="135" y="82" font-size="10" fill="#1f1f1f" text-anchor="middle">a11 b11</text>
<text x="225" y="82" font-size="10" fill="#1f1f1f" text-anchor="middle">a12 b21</text>
<text x="315" y="82" font-size="10" fill="#1f1f1f" text-anchor="middle">a13 b31</text>
<text x="135" y="116" font-size="10" fill="#1f1f1f" text-anchor="middle">a21 b12</text>
<text x="225" y="116" font-size="10" fill="#1f1f1f" text-anchor="middle">a22 b22</text>
<text x="315" y="116" font-size="10" fill="#1f1f1f" text-anchor="middle">a23 b32</text>
<text x="135" y="150" font-size="10" fill="#1f1f1f" text-anchor="middle">a31 b13</text>
<text x="225" y="150" font-size="10" fill="#1f1f1f" text-anchor="middle">a32 b23</text>
<text x="315" y="150" font-size="10" fill="#1f1f1f" text-anchor="middle">a33 b33</text>
<line x1="366" y1="77" x2="386" y2="77" stroke="#1b81e0" stroke-width="1"></line>
<line x1="366" y1="111" x2="386" y2="111" stroke="#1b81e0" stroke-width="1"></line>
<line x1="366" y1="145" x2="386" y2="145" stroke="#1b81e0" stroke-width="1"></line>
<polygon points="386,73 394,77 386,81" fill="#1b81e0"></polygon>
<polygon points="386,107 394,111 386,115" fill="#1b81e0"></polygon>
<polygon points="386,141 394,145 386,149" fill="#1b81e0"></polygon>
<text x="398" y="115" font-size="11" fill="#1b81e0">行の和</text>
<line x1="135" y1="168" x2="135" y2="184" stroke="#d0562a" stroke-width="1"></line>
<line x1="225" y1="168" x2="225" y2="184" stroke="#d0562a" stroke-width="1"></line>
<line x1="315" y1="168" x2="315" y2="184" stroke="#d0562a" stroke-width="1"></line>
<polygon points="131,184 135,192 139,184" fill="#d0562a"></polygon>
<polygon points="221,184 225,192 229,184" fill="#d0562a"></polygon>
<polygon points="311,184 315,192 319,184" fill="#d0562a"></polygon>
<text x="225" y="208" font-size="11" fill="#d0562a" text-anchor="middle">列の和</text>
<text x="48" y="52" font-size="11" fill="#9a9a9a">行の和が tr(AB)、列の和が tr(BA) にあたります</text>
</svg>正方行列でなくてもかまいません。 が 、 が なら は 次、 は 次の正方行列になり、大きさが違うのにトレースは一致します。
例:積は変わるのにトレースは同じ
次の つで確かめます。
と を計算します。
行列としては別物ですが、対角成分の和はどちらも です。
巡回はできても並べ替えはできない
つ以上の積では、順番をずらす操作だけが許されます。 をひとかたまりと見て等式を使えば出ます。
同じ手順で にもなります。輪をずらすように動かすので、巡回性といいます。
一方、 と を入れ替える操作は許されません。反例を作ります。
順に掛けると が に一致するので、 です。
ところが は右下だけが の行列で、 を掛けると零行列になります。
値が違うので、任意の並べ替えは成り立ちません。使えるのは巡回だけです。
相似な行列のトレースは等しい
正則行列 による変換でトレースが動かないことは、積の等式から 行で出ます。
基底を取り替えても線形写像そのものは変わりません。トレースはその「変わらない部分」を測る量のひとつです。
例:相似変換で確かめる
次の行列で試します。
の逆行列は右上の符号を変えたものです。順に掛けます。
成分はすっかり変わりましたが、トレースはどちらも です。
固有値の和になる理由
トレースが固有値の和に等しいことを示します。固有多項式の係数を比べるのが近道です。
行列式を定義どおり展開すると、 個の成分の積が並びます。 を含む成分は対角に限られるので、 以上の次数を作れるのは対角成分をすべて選ぶ項だけです。
対角以外を つでも選ぶと、対角成分を少なくとも つ落とすことになり、次数が 以下に下がります。
ここで の次数は 以下です。前半を展開すると、 の係数は対角成分の和に負号をつけたものになります。
一方、固有値を とすると、複素数の範囲で固有多項式は 次式の積に分解します。
こちらを展開したときの の係数は です。同じ多項式の係数なので一致します。
重複度をこめて数えることに注意してください。対角化できない行列でも成り立ちます。
なお定数項を比べれば が出ます。トレースと行列式は、固有値の和と積を見ていることになります。
例:2 次の固有値をトレースと行列式から出す
次では固有多項式が という形をしています。成分を書き下さなくても、 つの数だけで固有値が求まります。
トレースは 、行列式は です。
因数分解して を得ます。和が 、積が で、どちらも合っています。
例:3 次で係数を確かめる
次の行列で固有多項式を計算します。
トレースは です。固有多項式を第 列で余因子展開すると次のようになります。
展開します。
の係数が で、トレースに負号をつけた値になりました。固有値を求めなくても和が分かります。
対角成分そのものは固有値ではない
和が一致するだけで、成分と固有値が個別に対応するわけではありません。
トレースは 、行列式は なので、固有多項式は です。固有値は と になります。
対角成分は両方とも で、固有値のどちらとも一致しません。それでも和は で合っています。
交換子のトレースは 0 になる
の形を交換子といいます。トレースを取ると必ず消えます。
ここから、行列の方程式について強い結論が出ます。次の等式を満たす は存在しません。
左辺のトレースは 、右辺のトレースは で、 なら一致しないからです。成分を一つも計算せずに解の不存在が言えます。
トレースを特徴づける性質
線形であることと を満たすことだけで、トレースはほぼ決まってしまいます。
を 次正方行列上の線形汎関数とし、すべての で が成り立つとします。 成分だけが で残りが の行列を と書きます。
積の規則は です。まず の場合を調べます。
が零行列になるのは、 だからです。次に対角の場合を調べます。
つまり で、この共通の値を と置きます。任意の行列を の線形結合に書いて線形性を使います。
という条件を足せば となり、 はトレースそのものになります。
対角成分を足すという定義は、いかにも人為的に見えます。しかしこの結果は、線形性と積の可換性だけからトレースが必然的に出てくることを言っています。
他の話題とのつながり
は全成分の二乗和に等しく、その平方根がフロベニウスノルムです。行列のノルムの記事で詳しく扱います。
べき等行列 では がランクに一致します。固有値が と しかないことから出る結果で、射影行列の記事の話題です。
行列の指数関数については が成り立ちます。行列式と固有値の積、トレースと固有値の和という対応が、指数関数を通してつながっています。












